名古屋城へ行こう!

名古屋城といえば、金のシャチホコで有名な名古屋市のシンボルです。 2010年は名古屋海府400年の節目の年でもあり、本丸御殿の復元工事も
着々と行われていますが、これを契機に名古屋が益々活気づくことを期待しています。 そしてこのサイトでは、名古屋城のなかを簡単ですが紹介したいと思います。
※復元工事には多大な資金が必要となりますので、募金も行われています。




■名古屋城の歴史(公式パンフレットより)

名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、東海道の要所として、また、大阪方への備えとして、清須から名古屋へ遷府を決定し、慶長15年(1610)加藤清正・福島正則・前田利常等北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の作事(建築工事)は、慶長17年(1612)に、ほぼ完成した代表的な平城です。その後明治維新を迎えるまで名古屋城は、御三家の筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。 第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿はじめ建物の殆どが焼失しましたが、幸いにも焼失をまぬがれた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門、旧二ノ丸東二之門、二ノ丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられています。

正門(昭和34年再建)
焼失前の名古屋城


■金鯱

名古屋城にあってもっとも名高いのは金鯱です、城の大棟に鯱を掲げることは室町時代の後期、定格形態の完成した頃から始まったと言われています。当時は火除のまじないであったものが後には城主の権威の象徴として大棟に飾られました。 金鯱は尾張名古屋のシンボルとして昭和の世まで伝承されていましたが、惜しくも第二次世界大戦の戦火により天守閣と運命を共にしました。 しかし、昭年34年10月、天守閣と共に再建され再び市民の前にその姿を見せるようになりました。

見学当時(平成21年)は下に下ろされ見学出来ました。